2009年8月 3日 (月)

黙々と歩く我が同類さん

Cimg0065  延々たる私の散策路では、大半は孤独な道のりです。
ある程度それを望んでの事ですから当然です。
空想と現実の挟間で夢を見るにはこうでなければならないのです。
しかし、公園内の遊歩道にでも差し掛かると様相は一変します。
同類の仲間がどっと増えご覧のような賑わいです。
でも知り合いのグループは少なく、殆どは互いに横目で捕らえつつ、ただ黙々と歩いています。
昨今の健康ブームで歩く事はとみに見直され、かくも盛況になったことは良い事だと思います。
歩く事は健康の基本であることは経験的にも理解できますが、 更に長続きの秘策として歩きながら別の楽しみを作り出すことです。
ただ、車には気をつけるという技量は必要ですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月16日 (金)

今や常景、散策中に見る交通事故

P2280045  毎日、広くウォーキングをしていると、よくよく交通事故に出会います。
車対車、車対人(自転車)の接触事故で、歩く場所が生活道路や市街道路では、流石に派手な衝突事故こそ関係ありませんが、救急車との出会いは茶飯事です。
私はかってはドライバーの立場で事故を考えることが多かったのですが、今は歩行者の立場で考える事が多くなりました。
私自身もヒヤッとした事が何度かあります。
どういう訳かその瞬間のドライバーの目の方向を見てしまいますが、先ずは自分とは反対方向を見ているのです。
どういう場合でも盲点となるところがあるものだなぁーと思いますが、やはり確認する前に見込み発進をしている場合が何と多いことかと気づきます。
この見込み発進を防ぐ知恵が事故を減らす知恵だと思いますが。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年4月25日 (金)

昨今は遊歩道も悠々とは歩けません  

P2200038   ここは馴染みの遊歩道なのですが、資源ごみ収集日となればご覧の有様です。
どこも収集の場所に窮しているようで、車の邪魔にならないということになれば 遊歩道や公園が格好の場所となります。
状況はわからないでもありませんので、少々、我慢はしますが、最近は犬連れの散歩が目立って多くなり、それも道いっぱいに広がって連れており、一般歩行者が歩道からはみ出して行き交わさなければならないのです。
更に後ろから猛スピードで抜き去る自転車にも脅かされ、遊歩道といえども安閑と歩くなんて事はできません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月16日 (日)

さるのこしかけ

P9280011  写真の猿の腰掛を見て想像の限りを尽くしてみて下さい。
①樹がアッカンベーをしている。
②円盤が木に刺さってしまった。
③実は、これはパンのなる木なのです。
④木質キノコは枯れ木の変態姿なんだ。
散策の途上でもこんな事を考えているのです。
これもウォーキングの長続きの秘訣である事は理解出来ますでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月19日 (水)

ウォーキングの絆

Hatofuki  連休の人並み催事として、墓参を兼ねて近場の山へ登ってきました。(岐阜、鳩吹山)
数回目で、かつ低山ですから日頃のウォーキングの延長の積りで軽く考えましたが、急激に心拍数を高めると軽い酸欠を感じるところは年かなと寂しい思いです。
好天に恵まれ、この山にしては最も多くの人に出会うウォーキングになりました。
昼食休憩の適当な穴場を探すのも一苦労でした。
しかし、一般の行楽地と違って、多くてもどこか仲間意識がある事です。
これは、同じ目的で息を切らせ、汗を流す事から生まれる相互労わり感情だと思います。
戦友なんて古臭い事は経験のない私には分りませんが、良きにつけ悪きにつけ艱難辛苦を共にする事が絆を作る、という体験を平和利用に役立てないかと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 8日 (金)

ウォーカー達の姿勢

P4160018_1  毎日、ウォーカー達の歩く姿を見ていますと気になることがあります。
背を曲げ俯いて歩く姿勢は格好の良いものではありません。
自転車でも背筋のピント伸びている姿は気持ちの良いものです。
自分でも下を向いてばかりだと視界が狭くなることがわかります。
これを更に助長するのが手をポケットに入れて歩くことです。
冷たければ手袋を用いるのが安全上の問題としても良いでしょう。
最悪は咥えタバコの散策です。
吸い込みは普段よりも大きく、肺がんのための運動はしない方がよいのでは、
かく言う私は前方ばかり見て窪みにけ躓くことしきりです。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年6月 4日 (月)

行き交う人の視線

P4170020  市街散策中、当然、多くの見知らぬ方々とすれ違います。
お互い、同じ目的を持つ者は殆ど会釈だけで気は通うものがあります。
散策とは思えない一般の方々とのすれ違い時は稀に馴染めない空気を感じる時があります。
無関心なすれ違い、礼を重んじる空気、過ぎ去るまで睨み続けられる視線、等です。
私は相手を見続ける事はしません。
相手は気持ちの良いものではなく、眼(ガン)を付けたなどと絡まれても困ります。
誰でも経験するように、全ては一瞥で気配を感じることなのです。
睨み続ける視線を放つのは概して高齢の方々(男女)ですが、何故だろうと考えてしまいます。
私の格好が奇異なのか、警戒すべき怪しげ者か、どこの馬の骨的軽蔑心か、尊敬心(あり得ない)か、 理由は色々あるでしょうが、この人達の気持ちを是非とも分析してみたいと思っているのですが。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年5月23日 (水)

藤の花びら絨毯

P5070015  桜の花びらが路を敷き詰め、踏むのを惜しむ風流人が詠んだ詩情は昔から数々ありますが、私の散策途上のとある公園では一気に落ちた藤の花が地面を完全に覆っていました。
踏みつけて通っても良いのかしら、と一瞬戸惑ってしまいます。
薄紫の独特の色合いがびっしりと詰った絨毯は見事なもので、このままそっとしておきたいとは思うのですが、誰かに踏み付けられるのなら、自分が一番乗りと思い切って通りました。
そして子供の頃の誰よりも先に新雪を踏みつけて足跡を残す快感を思い出しました。(写真)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年5月21日 (月)

ウォーキング中、道を尋ねられる事

Mimai  私がウォーキングに夢中であることにはお構いなく、呼び止められ、ものを尋ねられる事がしばしばあります。
私が人の好さそうな顔をしているとは言いません(本音は???)。
尋ねる人は真剣で、それで人影は私しかいないのが本当でしょう。
尋ね先は学校、郵便局、特定の店舗等ですが、一番多いのが病院なのです。
遠方より急遽、縁者の入院先を訪れるというケースに遭遇する事が意外に多いのです。
遠路、嫁いだ娘の出産を見舞うべく、一人で産院を探し歩く老いた母など、 なんでウォーキング途上で目頭を熱くしなければならないのだろうと思います。
手にした花束が炎天下でぐったりしているのを見て、尚もかなりの距離を教えなければならないのは辛い思いです。
尋ねられる事は迷惑でも何でもありませんが、無事に辿れたかが、しばらく気になっています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月19日 (土)

ウォーキング冒険コース 

P4220030_1   私のウォーキング距離は約10キロです。
しかし、これは初めて明かす事ですが、片道5キロの往復10キロではありません。
実は交通機関を使って、10キロ先へ行って、そこから自宅まで後戻りのできないウォーキングを開始します。
行動半径が2倍になればコース選択の自由度は4倍になります。
これが私の楽しみであり、長年続いている源かも知れないのです。
ただ、途中引き返す事の出来ないリスクがあり、誰彼と奨める訳にはいきません。
又、何かと家族の協力がなければできない事です。
たかが散歩、されど私には費用とリスクを伴う小さな登山と同じと思っています。
どうしても安全主義ばかりでは楽しみが少なく物足りません。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧